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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)10983号 判決 1969年5月21日

原告 古阜正英

被告 国

代理人 岸野祥一 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

原告が前面制動灯装置付き対両側広角ミラーを自動車の前部に取り付けることを考案し、これをF、B、Sミラーと名ずけ、その販売に従事していることは当事者間に争いがない。

(証拠省略)によれば、原告は昭和四〇年四月頃から右F、B、Sミラーを商品として売出すため、その製造に着手し、約金三〇〇万円の資本を準備し、F、B、S販売会社を設立し、同会社との間で、(一)原告が製造したF、B、Sミラーを一台につき金一、〇〇〇円の割合で同会社に売渡し、ついで、(二)同会社はさらにこれを一般需要者に対して一台につき金一、一五〇円の割合で売出すという約定を結んだ。そして原告は、右約定にもとずき、その製造にかかるF、B、Sミラーを、昭和四〇年一一月中旬から下旬にかけて、右販売会社に対して、一台につき金一、〇〇〇円の割合で四八〇台売渡し、同会社はさらに、これをその頃訴外中越自動車用品株式会社(以下中越自動車と略称する)に対し、一台につき金一、一五〇円の割合で売渡した。しかるに、その後しばらくして、F、B、S販売株式会社は、中越自動車から「運輸省に電話で問合わせたところF、B、Sミラーは、道路運送車輛の保安基準(以下単に保安基準という)第三九条にふれるものであるといわれた。従つて販売することができないから返品する。」との契約の解消の申入れを受けたことを認めることができる。一方、証人若林研一の証言によれば、昭和四〇年一二月三日頃、中越自動車の職員と称する者から運輸省保安第一係に対して、電話で、「F、B、Sミラーという装置を売込みに来ているが、前に新聞でこの装置は規則違反になるということを読んだことがある。もし真に規則違反になるものであるならば、これを売つた場合、お客さんに対して迷惑をかけることになるので、確かめたい。」という問合わせがなされたことがあり、当時の係長であつた若林研一技官はこれに対して「広角ミラーのほうは、差支ないけれども、前面制動灯のほうは規則違反になる。」と回答したことを認めることができる。以上の事実よりすれば、中越自動車が、F、B、S販売会社からF、B、Sミラーの買受けを拒絶するに至つたのは、運輸省の若林技官の右回答にもとづくものであると認められるから、もし、本件F、B、Sミラーのうちの前面制動灯の装置を自動車にとりつけて使用することが、なんら違法とはならないものであるならば、原告の販売行為は、運輸省の職員である若林技官の前記行為によつて妨げられたというべきである。そこで次に本件前面制動灯の装置の自動車への設置が、違法であるか否かの点を判断する。

(証拠省略)および弁論の全趣旨を総合すれば、F、B、Sミラーというのは、自動車の先端、ボンネツト・フードの前中央部の上にとりつけられるように考案された前面の制動灯と一種のバツクミラーとを組合わせたもので、別紙の図のごとく、厚さ約五センチメートルの三角形をなしており、各辺の長さはそれぞれ約一七センチメートル、約一二センチメートル、約一一センチメートルあり、約一七センチメートルの部分が進行方向に面するように、また、約一二センチメートルの面は左に、約一一センチメートルの面は右に向くように設置すべく作られている。(これは運転手席が右側にあることを予定して作られたものと考えられる。)そして正面に向いた約一七センチメートルの面は緑色に点灯する制動灯となつており、他の二つの面は鏡となつていて、この鏡は、運転手が運転台からこの鏡によつて、首をめぐらすことなく左右両側およびそのやや後方を見ることができるように、左右ならびにやや後方の物体を写している。被告が違法であると指摘するのは、このうち、前面に向けられた制動灯であつて、いうまでもなくこの制動灯は、通常の車輛の後部にとりつけられてある制動灯と同じく運転者が主制動装置を操作すると点灯するような仕組みになつていることを認めることができる。尤も原告は、右の前面制動灯は、保安基準第三九条がその設置を義務ずけている後面制動灯の代りとしてこれを設置するというのではなく、後面制動灯を具えつけたほかに、さらに本件の前面制動灯を設置するのであつて、主として自動車の前面を横断する歩行者の保護を目的とするものであると主張する。ところで被告はこれに対し、右のような前面制動灯は、もともと実質的にみて有害無益であり、かつ、保安基準第三九条の明文にも違反すると主張している。

このうち、実質的な見地からの指摘は、そもそも制動灯なるものは、停車する場合のみならず、減速するだけの場合にも点灯する装置であるから、通行人は、前面制動灯の点灯を確認したからといつて必ずしもその車が完全に停止するものと速断してはならないのであるが、通行人のうちには、前面制動灯が点灯すれば、その自動車は必ず停車するものと思い込んで用心を怠る者があると予想されるから、前面制動灯は有害無益である。というにある。そしてこれに対する反論として、原告は、前面制動灯が点灯されたことを見て直ちに当該車輛が必ず停車するものであると判断するようなことは、通常の思慮分別のある者にはありえないことであり、一方、通常の思慮分別のない者にとつては、絶対に安全な文明の利益などというものは存在しないと主張する。

思うに右の各主張は、いずれも本件前面制動灯が、かりに、実用に供されたとしたならば、という仮定の場面を想定し、その場合において生じうる可能性についての議論であるから、証拠によつて明確にその黒白を定めうる性質のものではない。しかし、この点に関しては、(一)(証拠省略)に記載されている運輸省自動車局車輛課榊原課長補佐の鑑定的見解、証人宮代親、若林研一の各証言中にみられる同証人らの鑑定的見解及び(二)証人小堀憲助の証言中にみられる同証人の鑑定的見解が存するのでこれらについて考察する。前記(一)の各見解は、いずれも前面制動灯が完全停車の場合だけでなく、徐行の場合にも点灯するものであるが、歩行者の中には前面制動灯を見て停車するものと思い込んで自動車の前面に出る者があると予想されるから危険であると指摘している。これに対し(二)の見解によれば、「『前面制動灯が点灯されると、自動車が停止するものと思い込んで道路に飛び出すものがある』との見解は、いわば道路交通法をいくら良くしても、無謀操縦をする者がいる限り、法は無効だからやめてしまえという議論に似ている。」「前面制動灯の作用は、後面制動灯の作用と同じである。

その点灯によつて、歩行者と運転者との間で意思の伝達がなされる。」「歩行者は、運転者が自分を意識しているかいなかについての判断ができるという意味で効用がある。」というのである。かようにして、前面制動灯の功害は、それが実施された場合、歩行者に対して誤解を与えるものであるかどうか、という点と、反対に、これが実施によつて歩行者と運転者との間に意思の伝達がより正確になるかどうかという点に集中される。この場合、注意すべきは、たとい、これが実施によつて、歩行者と運転者と間の意思の伝達が容易になしうることとなつたとしても、そうだからといつて、このことは、必ずしも前面制動灯の点灯を停止の合図と誤認する歩行者がありえないことを保証するものとはならないことである。原告は、この点につき、そのように誤認する歩行者は、通常の思慮分別のある者には、ありえないことであると主張するが、このような主張を肯定する鑑定的見解はない。尤も前記証人小堀憲助の証言によれば、前面制動灯の点灯の意味を誤認する者がいるいう見解は、道路交通法をよくしても無謀操縦者がいる限り、法は無効であるとの議論と同じであるという。しかし、前面制動灯の場合は、この灯火が設置されない時期には、これを誤認する者はありえないのであつて、いわば設置することによつて、新たに生ずる危険が問題とされるのである。この意味では、法の改正の前後をとわず無謀操縦者が絶えないという議論とは、全く異なるものである。

このようにみてくると、前面制動灯の必要性は、その点灯の意味を誤解して危険を招く歩行者がありうることを予想しながらも、それでも、なお、かつ、これを備えつけることが、交通の安全上望ましいと断言できるかどうかにかかつているというべきである。ところで、歩行者が受ける自動車事故の多くは、歩行者が自動車を全く意識せずに物かげから突然とび出すとか、自動車が他の自動車等との衝突を避けるために急激に方向転換して歩道に乗入れるとか、或は飲酒等による無謀操縦の結果生じたもののごとく、殆んどが運転者から歩行者に対して意思の伝達をなしうる余地がないような場合であることは、公知の事実ともいうことができ、従つて、果して前面制動灯の設置によつて、歩行者が蒙る自動車事故の減少を期待できるか否かは、極めて疑わしいといわなければならない。かようにして、前面制動灯の設置は、一概に有害無益であると断定することはできないけれども、かといつて、また、その反面、歩行者を交通事故から守るについて望ましく、有益無害なものであるとも認めがたいのである。

そこで、更に進んで前面制動灯の設置が、現行の保安基準の定めに対して、いかなる関係に立つかについて判断する。

被告は、本件前面制動灯は、保安基準第三九条に違反すると主張し、その根拠として、同条は、制動灯は、昼間後方三〇メートルの距離から点灯を確認できるものであつて、(第二項第一号)、後方一〇メートルの距離における地上二・五メートルまでのすべての位置からその照明部を見通すことができるように取り付けられたものであること(同項第六号)を要求しているが、これは法が制動灯の功害にかんがみて制動灯は、交通の安全上、これを自動車の後面にのみ装置すべきものであるとする趣意に発し、それに即応して、制動灯の具うべき基準を定めたものにはほかならないこと(なお、その趣旨によつて、旧条文は現行の条文に改正された)及び同条は、制動灯は、これを自動車の後面以外のところに装置してはならない旨明記はしていないけれども、右にのべた制動灯の性質並びに自動車のもつ表示は、他の通行者に対する一般的表示として通用し、交通の安全上重要な作用をするものであることからも、制動灯を法の認めた以上に自由に装置することは法の認めないところであること、を挙げている。そして、証人北川清の証言によれば、昭和三四年九月一五日に保安基準の改正が行なわれ、従来軽自動車について制動灯の備付義務のなかつたものに対して、その備付義務を追加し、また制動灯についての構造基準を従来の規定に比べて具体的にしたものであることを認めることができる。尤も、この事実から直ちに、およそ制動灯たるものは自動車の後面にのみ装置すべきものであつて、それ以外に、たとえば、横面、前面等に余分に装置することをも禁ずる趣旨であることは、必ずしも明らかには解せられない。即ち保安基準第三九条は、その第一項において、自動車の後面には制動灯を備えなければならない旨を定め、第二項において、「制動灯は、左の基準に適合するものでなければならない」として、一号から七号までの要件を掲げているが、同項にいう制動灯は、第一項において、その備えつけを義務づけられた後面制動灯を指すものと解するのが相当である。

のみならず、弁論の全趣旨よりすれば、同条が前面制動灯の存在をあらかじめ予定して規定されたものでないことが明らかであり、従つて、同条の文理解釈からは、直ちに前面制動灯の備えつけが禁ぜられているとも、また許されるものであるとも断定できないのである。さらに、保安基準には同条以外にも前面制動灯の許否について明文をもつて直接規定した法条は全く存しないが、このことは、前記のとおり、右の保安基準の改正当時、前面制動灯の存在を予期していなかつたことを裏ずけるものともいうことができる。しかし、そうだからといつて、法の建前として、その予想しない灯火を備えつけることに対して、全く放任するものであるということにはならない。かえつて、道路運送車両法第四一条は、自動車の装置につき「自動車は、左の各号に掲げる装置について、運輸省令で定める保安上の技術基準に適合するものでなければ、運行の用に供してはならない。」と定め、その第一三号として「前照灯、番号灯、尾灯、制動灯、車幅灯、その他の灯火装置及び反射器」を掲げている。そして、ここにいう制動灯の概念の中に、前面制動灯の装置を予想していなかつたとしても、少くとも「その他の灯火装置」なる表現によつて、およそ一切の灯火装置に対して、保安基準の定めるところによらなければならないものとする法の目的を看取することができ、従つて当時として予想しなかつた前面制動灯についても、また、保安基準の定めるところによることが要求されているものといわなければならない。

一方、道路運送車輛法第一条は、同法の目的として、「この法律は、道路運送車輛に関し、所有権についての公証を行い、並びに安全性の確保及び整備についての技術の向上を図り、あわせて自動車の整備事業の健全な発達に資することにより、公共の福祉を増進することを目的とする。」と規定し、また同法第四六条は、保安上の技術基準の原則に関し「‥‥(前記同法第四一条に定める灯火装置についての規定等による)保安上の技術基準は、道路運送車輛の構造及び装置が運行に十分堪え、操縦その他の使用のための作業に安全であるとともに、通行人その他に危害を与えないことを確保するものでなければならず、且つ、これにより製作者又は使用者に対し、自動車の製作又は使用について不当な制限を課することとなるものであつてはならない。」と定めている。以上の各条文の規定するところからみれば、保安基準の設定の趣旨、目的は、一方において、自動車の製作、整備の事業に対して不当な制限を課したり、その健全な発達を妨げたりすることがないようにとの配慮を払いつつも、他方においては、車輛の安全性、通行人の安全性の確保を旨とし、公共の福祉を増進しようとするものであることを看取することができ、従つて、保安基準のうちで危険防止を目的として規定された諸条項については、公共の安全性を指導理念として解釈すべきであつて、単に、直接、明文で禁止していないからというだけの理由で、自動車の設備についてのいかなる創意工夫も無制限に許されていると解釈すべきではない。ところで保安基準第四二条は、灯火に関する制限を定めたものであるが、同条第三項ないし第七項は、主として前面の灯火装置についての禁止規定であつて、このうち第五項は「自動車には、点滅式方向指示器、補助方向指示器、緊急自動車の警光灯、道路維持作業用自動車の灯火及び一般乗用旅客自動車運送事業の用に供する自動車の非常灯を除き、点滅する灯火を備えてはならない。」と定めているが、これは、いうまでもなく、法律上許された点滅式の灯火の効用を維持するために、これとまぎらわしい灯火の設備を禁止し、これによつて危険の防止をはかることを目的とする規定である。そしてここにいう点滅の意義は、規則的に点滅をくり返す場合がその代表的なものであると解せられるけれども、本件前面制動灯のごときものも、制動装置の操作に応じて点滅するものであつて、場合によつては、他の点滅灯火とまぎらわしい状況を惹起することも予想され、従つて、公共の安全性の見地よりすれば、本件の制動灯のごときもまた同項によつてその備付けが禁止された「点滅する灯火」に含まれるものと解するのが相当である。

以上のとおり、前面制動灯は、その効用においても有益無害であるとの主張立証が充分ではなく、また、法規の上からも、その設置を禁止されたものと解すべきであつて、若林技官が、訴外中越自動車に対して与えた回答は、結局正当であり、これによつて、同技官は、原告に対し、なんらの不法行為を行なつたことにはならないから、右回答の内容が違法であるとの前提に立つた原告の主張はすべて失当というほかはない。

なお、原告はF、B、Sミラーについては、商標権及び意匠権の各設定登録がなされていると主張するが、右登録の有無は、その保安基準に対する違法・適法とはなんら関係のないことであるから、この点に関する原告の主張もまた採用の限りでない。

よつて、原告の本訴請求は理由がないので、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 小木曾競 山下薫)

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